平賀千江は日本を代表する希代の書家である、相田みつをの妻である。

 

相田みつをに連れ添って、息子の一人をもうけての37年間は非常に苦労していたという話であるが、それをメインに今回はつづっていきましょう。

 

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平賀千江について

出典:tbs.co.jpより

平賀千江は現在、91歳。

 

詳しい生年月日は不明であるが、おそらくは1927年生まれであると思われる。

 

元々は栃木県の大きな商家の末娘であり、何不自由なく生活をしていた箱入り娘。

 

一方の相田みつをは、その才能を周囲からは認められてはいたが、書家として生計を立てていくことは出来ずにいた。

 

画商として名高い菅原澄の人物評によると、相田みつをは

人間臭く、わがままで、嫌いな相手とすぐに喧嘩になったり、女性に大層もてたりした

と、語っている。

 

そんな相田みつをと平賀千江は、ある時、歌会の席で知り合ったことを切欠に深い関係となる。

 

平賀千江と初めて出逢った時のことは、かつてドラマでも再現されている。

 

初めて出逢い言葉を交わした時から、相田みつをは何度も『千江』『逢』という文字を書いていたという。

 

そういったほのかな恋心が大きくなり、徐々に関係を育んでいったということであろう。

 

お嬢様として育った平賀千江であったが、駆け出しの書家で収入もない相田みつをとの結婚に対して、周囲は猛反対をしたという。

 

しかし、それを振り切って、1954年に相田みつをと結婚。

 

恋焦がれた者同士、反対を押し切っての結婚生活は、幸せなものになると感じていたのだろうが、実際には酷い有様であったという。

 

平賀千江 相田みつをの妻として

男の子と女の子の二人の我が子を授かるものの、大黒柱の相田みつをには収入らしい収入も無い為に、一家は困窮していた。

 

八畳一間に住んでいた四人家族であったが、何と相田みつをは書を書く為に、他の三十畳もの大きな部屋を独占していたという。

 

更に相田みつをには母親がいたのだが、何かにつけて平賀千江をいびり倒すという始末。

あなたの作る食事では、みつをがかわいそうです。 食事も着る物も、こちらで用意します。

と、平賀千江をいびることもあったという。

 

これは後年、相田みつを自身も語っており、『千江への憎しみは異常なんです。』と語っている。

 

相田みつをにはかつて二人の兄がいたのだが、残された我が子をとられたと感じる母親の真理がそこにはあったようにも思える。

 

そんな状況であっても、相田みつをは母親が自分の妻をいびっていても、止めることも出来ずにいた。

 

ひたすら書を書き続けながら、坐禅や釣りなどに逃げていたという。

 

貧困と舅との確執に、生活空間の制限などから、平賀千江の生活は過酷であったことは想像に難くない。

 

平賀千江と相田みつをとの間に生まれた息子

平賀千江を相田みつをとの間には、二人の子供がいることは前述したが、息子の相田一人(かずと)は現在、千代田区丸の内の【相田みつを美術館】の館長である。

 

相田みつをの不遇時代、成人した一人は出版社に勤務していたという。

 

1991年相田みつをが、ようやく日の目を見た頃に、路上で転倒して足を骨折した挙句に脳内出血を起こして他界。

 

悲劇の天才書家である相田みつをの残した数多くの書を元に、1996年に東京・銀座に【相田みつを美術館】を開館させる。

 

美術館と父・相田みつをの遺作を管理ことに尽力し、2003年には美術館を千代田区の東京国際フォーラムに移転させている。

 

その後、遺作の商品化などの監修や、相田みつををテーマにした書籍も二冊、敢行し、作家としても活躍しているという。

 

平賀千江は相田みつをの妻として、数多くの苦労を余儀なくされたが、息子の一人の苦労話はあまり目立たないが、幼少期は両親の状況から決して幸せであったとは言い難いのは明白だ。

 

しかし、苦労をかけっぱなしであった相田みつをの残した数多くの遺作と、その名前が現在の平賀千江と息子の一人を支え続けたというのは間違いがないだろう。

 

それに加えて、どこか波乱万丈な典型的な芸術家として、大往生したという相田みつをが、今なお、生き続けていると言えるのかもしれない。

 

おわりに

平賀千江という天才書家の相田みつをの妻の立場から見て、つづってみた。

 

息子も娘も幼い頃は非常に才能はあっても売れない相田みつをに引きずられて、数々の不遇な時間を過ごしたのは想像できる。

 

しかし、その苦労も多くの遺作を残して突然、逝った相田みつをの最後から報われる形になっていったというのも、どこか皮肉な運命であったと言えないだろうか?

 

当然、遺作を世に広めるための努力や苦労をしたのは妻の平賀千江と息子の一人なのであるが、その甲斐もあって、現在の一般人には手の届かない暮らしを享受できているのは、素晴らしい限りであると思えるのだが。

 

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