伊原剛志は現在、お好み焼き屋チェーン店を軌道に乗せて、国際俳優として活動している。
現在の画像からして、非常に順風満帆な生活を営んでおりながらも、役者に関する拘りは今だに消えていないと思われる。
ここでは伊原剛志の現在をメインにまとめてみよう。
伊原剛志について
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— 伊原剛志 (@ihara184) 2018年4月14日
【名前】 伊原剛志 (いはらつよし)
【生年月日】 1963年11月6日
【星座】 さそり座
【年齢】 54歳
【出身地】 福岡県北九州市
【血液型】 O型
【学歴】 大阪府立今宮高等学校
【所属】 ケイダッシュ
【デビュー】 1982年
伊原剛志は元々、在日韓国人であり、幼少期の名前は尹惟久(ユン・ユグ)といい、4歳の頃に大阪府へ移住している。
将来の夢は教師になることであったが、学校の教師は日本国籍を持つ者のみがなれるというルールによって断念する。
1982年に千葉真一が主宰をするジャパンアクションクラブに所属し、俳優としてデビューする。
テレビドラマや映画、OV作品(オリジナルビデオ)に数多く出演し、1990年に女優の相築あきこと結婚する。
1992年にお好み焼き屋を開業し、その後、年商10億円を叩きだすチェーン店へとのし上がる。
2000年に相築あきこと離婚し、翌年の2001年に一般女性と再婚。
2001年にはテレビのトーク番組で在日韓国人であったことを公表し、2005年には朝鮮風すきやき屋を回転させるも、2008年に廃業。
2012年、ブラジル映画【汚れた心】の主演を務めて、第15回プンタデルエステ国際映画祭の主演男優賞を受賞。
2016年には桂雀々の弟子となり『雀々や剛々』の高座名で落語家としてもデビュー。
伊原剛志の現在は?
伊原剛志の現在は特に何か派手な活動をしているわけでもなく、自由気ままな生活を営んでいる。
時折、公式Twitterやインスタなどに画像を投稿しているが、それを見ると都内の自宅と、ロスの自宅を行ったり来たりしてのが見受けられる。
自由気ままに好きなことだけをしている雰囲気であり、同じ男性として素直に憧れすら抱けるそんな印象が持てる。
伊原剛志といえば、俳優業だけではなく、実業家としても大成功を収めていることでも知られている。
そんな伊原剛志の経営するお好み焼き屋は、現在、どうなっているのだろうか?
伊原剛志のお好み焼き屋の現在は?
【ごっつい池袋】なんとなんと!お誕生日の方が3組4名さま!サプライズフィーバー☆☆店内、いたるところで大盛り上がりでした♪みなさん、ハッピーバースディ~^^//#ごっつい #お好み焼き #鉄板焼き #牛ヒレひも肉 #東京23区 #鉄板宴会 #ごっついの塊肉 #おこプレート #okonomiyaki pic.twitter.com/1t88IDVrp3
— gottsuitter (@gottsuitter) 2018年9月21日
伊原剛志は1992年に完全自己資本で、お好み焼き屋を起業する。
当時、お好み焼き屋の名前は『ぼちぼち』という名前であったが、後に『ごっつい』に改名し、チェーン展開を行う。
2012年当時は全国で20店舗以上を営業する程に成長をして、年商は10億円を叩きだす人気飲食店となった。
2018年現在は14店舗にまで減ったが、その全ては都内に集中しており、順調に営業を続けている。
ちなみに伊原剛志のお好み焼き屋チェーンは、法人化している。
代表取締役は伊原純子となっており、これは伊原剛志の嫁が代表で運営をしている。
加えて伊原剛志の嫁である純子さんもインスタで時折、現在の画像を投稿している。
伊原剛志のお好み焼き屋は、働いているスタッフが本当に楽しそうなのが、現在の画像から見て取れる。
働いている従業員たちが、楽しく営業しているというのは、うまくいくのが当たり前である。
これも自由気ままに縛られない生き方をモットーに生きている伊原剛志の人間性が成せる業であると、個人的には感じているのだが。
おわりに
伊原剛志はかつてメディアに向けて、当時の今現在の心境をこう語っている。
この30年間は、今後役者を続けていけるための基礎作りです。自分が完璧だと思ったことはないし、負けてばかりですよ。
-お好み焼き屋の成功については
お金のために役者をしなくていいようにしたかった。母親が飲食店をやっていたのを近くで見ていたし、居酒屋でのバイト経験も生かせていると思います。
引用:zakzakより
海外での俳優活動などもあって、子供たちとは離れて暮らす日々もあるようだが、その生き様は自由奔放という具合だ。
かといって、芸能人によくありがちな、飲食店の失敗やスキャンダラスなことなどもなく、非常に何事も不幸がなくいい人生を送れている様子。
個人的には伊原剛志を知ったのは、1991年の映画『JINGI 仁義』であり、1993年のテレビドラマ『もう涙は見せない』で後藤久美子と主役をはったときからファンである。
男として素晴らしい生き方をしている数少ない男性芸能人の一人ではないかと感じている。