加藤和也の玉川学園時代がヤバい! 不良となって高校を中退・・・

加藤和也は幼稚から大学院まで一貫校である玉川学園を高校生のころに中退している。

母・美空ひばりから溺愛され、加藤和也自身も美空ひばりを愛していたのだが、それが不良となった一端を担っている。

ここでは加藤和也が玉川学園に通っていた時、どれほど普通と違っていたのかを軸にお届けしよう。

加藤和也は玉川学園の生徒だった

加藤和也のWikipediaでは、明大中野高校を中退しているとなっている。

しかし、これは間違いである。

何故ならば、2007年刊行の加藤和也自らが著者である【みんな笑って死んでいった】で、こう書かれている。

そうこうしているうちに、気がついた時は、ちょっと問題児になっていた。 通っていた玉川学園は東京の郊外にあり、幼稚部から大学院まである一貫教育の大きな学校で・・・

引用:みんな笑って死んでいった P64より

なので間違いなく加藤和也は明大中野高校ではなく、玉川学園の生徒であった。

加藤和也の玉川学園時代がヤバい!

加藤和也は小学低学年までは大人しい子であったが、美空ひばりが多忙になり仕事の都合で一緒の時間が減ってきた辺りから、問題児となっている。

小学5年生の頃、部長に呼び出されることが多くなる。(普通の学校でいうと校長にあたる人物)

悪さをしでかしたからなのだが、加藤和也自身は『小学生レベルだから大したことが無い。』と振り返っている。

しかし、この頃にはポケットにはメリケンサックを持っていたと振り返っている。

幼少期の頃は加藤和也が小さかったこともあった為に、美空ひばりは忙しい巡業先にも連れて行っていた。

その影響で加藤和也は幼い頃から、大人たちに囲まれて、大人たちの影響を受けて育っていたのだった。

小学生に入り、巡業先へ行けないことから、徐々に美空ひばりと供に過ごす時間が少なくなったことが問題児になったといえる。

学校に何度か呼ばれた後に、美空ひばりと加藤和也は交換日記をすることになるのだが、加藤和也のつれない返答によって二週間で終わる。

玉川学園は当時から所謂、お坊ちゃん学校であったが、少なからず家庭環境が良くない同級生もいたという。

悪友という一緒に悪さする友達が数人出来て供に行動していたわけだが、決まって土壇場になると悪友たちはこういった。

おまえには立場があるんだから。

と、加藤和也を先に逃がしてくれたという。

そんな悪友たちとは加藤和也は現在も親交があるのだそうだ。

1984年3月に玉川学園小学部を卒業した加藤和也だったが、美空ひばりは何故か、卒業式後の謝恩会で『芸道一代』を熱唱。

小学部の音楽の教師がつくった『おかあさんありがとう』の歌唱指導までして、謝恩会は盛り上がったそうだが、加藤和也は恥ずかしくて仕方がなかったと振り返っている。