加藤和也の玉川学園時代がヤバい! 不良となって高校を中退・・・

加藤和也の玉川学園時代 中学生の頃 『ママ』から『おふくろ』に

中学部に上がった加藤和也は小学生の頃と違い、学校へ行くのが楽しくて仕方がなくなっていた。

バレーボール部に入ったのだが、スポーツの楽しさに気づいて、部活の友達と過ごす時間が何よりも楽しかったという。

その頃には自宅近くで運営していた元日本ライト級チャンピオンの風間清のジムの門を叩いて入会する。

この辺りからようやく親離れが始まり、前は美空ひばりのことを『ママ』と呼んでいたが、『あんた』とか『おい』と呼ぶようになる。

他人がいるときは『おふくろ』と呼ぶようになっていた。

精神的な依存先が母・美空ひばりから、学校の友人たちへとなっていたのだ。

学校でバレーボールに夢中になり、下校の時には自宅を素通りしボクシングジムで再び汗を流す。

そんな毎日の中で、どんどん美空ひばりとの距離は遠くなっていったという。

ちなみに加藤和也が中学三年生の時に、中学バレーボール全国大会で優勝している。

当時、60年の玉川学園の歴史の中で、中等部が優勝旗を持って帰ってこれたのは初であったという。

しかし、学業の方は散々であったという。

国語こそ赤点以上78点をとってはいたが、数学が0点に等しい散々な点数しか挙げれない。

玉川学園はエスカレーター式ではあるものの、この頃には進学校となっており学業が散々だったことが進学のネックとなりかけていた。

だが、バレーボールに一生懸命、励んでいたことで、何とか高等部に進学することが出来たという。

加藤和也の玉川学園時代 高校生の頃 不良のレッテル

この頃には加藤和也は美空ひばりに半ば反発心を持っていたと語っている。

ボクシング続いて力も自信がつき、世間知らずの怖い者知らずとなっていた加藤和也は高等部に入学したときはガッツポーズをとり

よしっ、みてろよおふくろ。 これから本腰入れて迷惑かけてやるからな。 覚悟しとけ

と、思っていたが、美空ひばりは徐々に体調を低下させていたのだった。

しかし、いざ高校の入学式が終わってからはすぐに授業をサボるようになっていたという。

中学生の頃は学校が楽しくて仕方がなかったが、高校になると気心の知れた友達は少なくなり、教師も中学生の頃とは違いドライであったのだ。

教師側も、高校生は義務教育でもないから、自由と責任ということを教える為に加藤和也からしてみれば冷たくうつっていたのだ。

部活に入るものの、すぐにコーチと揉めてすぐに退部。

学校には一番に登校していたのだが、他の生徒が教室に入って来て賑やかになって来ると途端に嫌になる。

悪い先輩たちとともに授業を放り出して、喫茶店へいってタムロするという無益で無駄な時間を過ごすようになっていた。

そんな先輩たちとも関係が次第に悪化していく。

一年生で後輩の加藤和也の口の利き方に『おまえ、生意気だ!』ということになる。

すると加藤和也は『冗談じゃねえ。先輩づらすんじゃねえよ。』と切り返し、喧嘩となるという具合であった。

高等部に入学したばかりなのに、学校を辞めたい気持ちになっていったのだ。

その頃には加藤和也には『不良』というレッテルが貼られて、教師も敬遠していたという。

それから後に学校で同級生と喧嘩をして殴り倒してしまう。

喧嘩した相手は空手をしていた生徒であったが、加藤和也は病院送りにしてしまったというのだ。

二週間の入院をしなければならないというくらいだから、加藤和也は余程、痛めつけてしまったのだろう。

学校側はこの騒動を起こした加藤和也に対して、無期停学処分を下したのだった。

高校に上がって僅か二ヶ月しか経ってない頃のことだった。