宮城まり子 死去! 死因は? ねむの木学園の創設者がついに逝く・・・

宮城まり子が死去したという報道が飛び交っている。

高度成長期の古き昭和の時代を女優として生き抜いた才女がついに旅立たれた。

その実績の中、皇室関係者とも懇意な仲であった宮城まり子の最期はどうだったのか?

死因やこれまでの経歴と反応を見ていこう。

宮城まり子が死去!

1955年のヒット曲「ガード下の靴みがき」などで知られる歌手で女優、宮城まり子(みやぎ・まりこ、本名・本目真理子=ほんめ・まりこ)さんが21日午前6時55分、東京都内の病院で死去したことが23日、分かった。93歳だった。

亡くなった21日は故人の誕生日。肢体の不自由な子供たちの養護施設「ねむの木学園」の設立者で園長を務めており、27日に関係者のみで学園葬が営まれる。

引用:サンケイスポーツより

93歳という高齢まで生き抜いた宮城まり子。

昭和、平成、令和と三元号を芸能界で身を立てた、その精神力をもってしても病魔には勝てなかったのは残念だ。

宮城まり子の死因は?

報道によると、宮城まり子の死因は悪性リンパ種であるという。

悪性リンパ種というのは血液のガンであり、この病気にかかると身体中の免疫機能が破壊されてしまう恐ろしい病だ。

血液には外部からウイルス、雑菌などから身を守る白血球やリンパ球、赤血球が含まれているが、これが浸食されてしまうのだ。

よって、悪性リンパ種にかかれば、非常に苦痛を伴い何てことの無い日常に溢れている些細な雑菌でさえも脅威になってしまうのだ。

宮城まり子は都内の病院で、この病と闘っていたが、帰らぬ人となってしまったのだった。

宮城まり子について ねむの木学園創設者

東京府東京市蒲田区で生まれた宮城まり子。

父親と母親と弟と3人で生活しており、小学校三年生の頃に大阪に移り住んだ。

小学校五年生の頃に父親が事業で失敗し、母親が病死したのを切欠に弟と供に吉本興行に入り、芸能の道に進んだ。

戦時中であったために西日本を巡業し、戦後には父親と弟と供に上京し浅草に活動の拠点を移した。

日劇の舞台で主役に抜擢された後、歌手としての活動もはじめ、ヒット曲に恵まれる。

その後は紅白歌合戦にも出場する様になり、女優と並行して歌手としても活躍した。

それからは福祉活動にも積極的に取り組み、タレント活動からは一時、身を引いた。

福祉施設や養護学校【ねむの木学園】を設立したのち、自伝を執筆するなどの作家活動も展開。

2011年には宮城まり子が設立した養護学校の職員と懇意にしていた音楽家が、宮城の資産をだまし取っていたことが発覚。

学校や宮城まり子の口座から、総額5億円ものお金が引き出されていたという不運にも見舞われる。

(後に犯人は逮捕されて、有罪判決をうけている)

2012年にはこれまでの福祉活動や実績が認められて、瑞宝小綬章を受賞し、歌手活動を30年ぶりに再開させていた。

宮城まり子死去のネットの反応は?


割と若い世代の方たちも宮城まり子のことを知っていて、訃報に悲しみの反応を寄せているようだ。

それだけ宮城まり子が残した実績が比類なき大きなものであったことが伺えるといえよう。

今はただ宮城まり子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。