志村けんの訃報が30日突然、メディアに流されて、多くの人間が悲しみに暮れている。
それに伴い新型コロナウイルスに対する恐怖と憎悪が日本中に駆け巡っている。
一つの疑問がここで生じるのが、結婚していない志村けんの莫大な遺産は誰の手に渡るのか?というのが一部の人間の興味の引くところだ。
志村けんには兄弟がいる(画像)
以前話題になったけど志村けんって兄がそっくりなんだよな。療養中の撮影代役どうかな…。兄の方は髪がある。
志村けん兄「本当にソックリ」 東村山市役所退職で語ったコト https://t.co/sPlx7m7i2I @jcast_newsさんから pic.twitter.com/vRj4o4C3Yz
— 徳本 (@tokumoto0) March 25, 2020
志村けんは兄が二人おり、メディアに度々、登場しているのは長男の知之さんである。
上記が志村けんさんの兄・知之さんの画像である。
兄の知之さんは東村山市の職員であり、今回、志村けんが新型コロナで緊急入院した際に、取材をうけている方だ。
次男は志村美佐男さんという方であり、こちらも公務員として安定した職業に現在も就いているのだとか?
両親は既に他界しているので、志村けんの遺族といえば、兄しかいないということに他ならない。
志村けんの遺産の相続人は兄?
志村けんは一説によると、資産が約50億円あったという。
ドリフターズ時代にそれこそ毎日、遊び歩いても使い切れないほどのお金を稼ぎ出したことでも知られている。
そこで悠々自適に暮らすのかといえば、そうではなく志村けんは仕事人間で、この30年間はテレビのレギュラー番組をかかしたことのない芸能人だ。
その結果、故・いかりや長介の遺産の10倍は所有しているというのも有名な話なのだ。
この遺産の行方を知りたがるユーザーは多い。
順当にいけば兄の知之さんと美佐男さんが、遺産相続人になると見て間違いがないだろう。
志村けんの兄の告白から二日後に・・・
志村けんの兄が急遽、話題にのぼったのは、3月28日未明。
週刊誌メディアの取材を受けた兄の知之さんがネット上で囁かれている噂に対しての苦言を告白した内容である。
それを抜粋しよう。
「報道では、私が病院で付き添っていると報じられていましたが、私は行っていません。(新型コロナに)感染してしまうのでいけない。私だって行けるものなら看病に行ってやりたいです。全然、何も出来ません。
こういう状況だから、病院の方や井澤さん(『イザワオフィス』代表取締役社長の井澤健氏)からの連絡を待つしかない。井澤さんも病院に行けていなくて、医者の説明を聞いては、毎日連絡をくれています」
――入院の一報はどのように?
「井澤さんだったかな……。もう、動揺してしまって覚えてない」
――病状について事務所からはどう聞いていますか?
「報道の通りです。集中治療室に入ったというのも、井澤さんからの連絡で知りました」
ーー搬送前からの体調について
「けんがいつもお世話になっている病院の主治医が家に診にきてくれて、そこで体調がよくないから入院しようとなったと聞きました。私はその主治医に会ったことがないからわからないけど、だいぶ前から色んな薬をもらっていたみたい。肺か肝臓かな? けんは持病があるから。肝臓が弱っていたからそれかとも思うけど、詳しくはわからない」
この兄の告白から二日後の現在、志村けんの死去報道が流れて、一気に様相は覆ったという状況だ。
実は志村けんはコロナショックが起きなかったら、東京オリンピックの聖火ランナーとして走る予定もあったのだとか?
全ては新型コロナウイルスが何もかも滅茶苦茶にしたということである。
志村けんの兄は遺産をどう使うのか?
志村けんの兄の知之さんや美佐男さんは、現在、動揺していることだろう。
それに加えてしばらくはマスコミの取材が殺到するという状況になるのは必然ではある。
たとえ莫大な遺産が舞い込むという状態になったとしても、それを喜ぶどころかおそらく志村けんの遺志を尊重する形で使われることになるのかもしれない。
志村けんはとにかく後輩を可愛がったり、弱き立場のものたちを助けることが好きだった優しい人物だ。
そんな弟の気持ちを尊重するかのようなお金の使い方をしていくように思えてならない。
困っているところに寄付をするなり、それこそ新型コロナウイルスで危機的状態になった団体や人々に対しての援助などをするのではないだろうか?
志村けんの兄二人はそれぞれが安定した職業についているので、然程、お金には困っていない立場であるだろうし。
あくまで個人的見解であるが、何にせよ非常に悲しい。
志村けんが逝くのがとにかく早すぎるという気持ちしかない。
しかし、これを受け止めて前を見ていかなければならないし、新型コロナウイルスに対する脅威に更に警戒を向けていかなければならない。
我々が出来ることは果たして何なのだろうかを考えていく必要に迫られている。