内田裕也が死去の予感?! 樹木希林との馴れ初めが初々しい!

内田裕也は現在、病で伏せっているが、以前から死去が近いとの噂が巻き起こっていた。

 

樹木希林も先日、死去をしているなか、噂も俄然、現在、真実味を帯びてきたようである。

 

長年、お互いを意識してきた存在が死去でいなくなると、間違いなく生きている方にも影響が出る。

 

そんな、内田裕也と樹木希林の夫婦関係は、非常に変わっていたということも知られているが、二人の馴れ初めは非常に純粋なものであったという。

 

内田裕也について

出典:Yahooより

 

【名前】 内田裕也 (うちだゆうや)

【生年月日】 1939年11月17日

【星座】 さそり座

【年齢】 78歳

【出身地】 兵庫県西宮市

【血液型】 B型

【学歴】 日本大学法学部・中退

【所属】 内田裕也オフィス

【デビュー】 1959年

 

内田裕也は幼少の頃は非常に勉強熱心で真面目な優等生であり、中学生の頃には生徒会副会長にもついていた。

 

勉強だけではなく、爽やかなスポーツ少年であり、中学生の頃はラグビーに勤しみ、高校生になってからは野球部に所属する。

 

しかし、エルヴィス・プレスリーを聴き、衝撃を受けてロック魂に目覚めて、高校をドロップアウト。

 

その後、高校を受け直して編入し、日本大学法学部に進学するも中退してしまう。

 

以降、音楽の道に本格的に進むことになり、現在は俳優として活躍している佐川満男とロカビリーバンド【ブルー・キャップス】を結成。

 

1958年に北原謙二、中村泰士と供に、【ブルージーン・バップス】を結成し、バンマスを務め、翌年には渡辺プロダクションに所属。

 

かまやつひろしや、寺内タケシの音楽プロジェクトに参加するも、方向性が違い脱退し、以降は他のバンドを渡り歩く時期を過ごす。

 

1963年に映画デビュー。 監督・恩地日出夫の【素晴らしい悪女】を機に、【エレキの若大将】など他映画に多数、出演。

 

1967年にはヨーロッパに渡り、放浪生活を送る。

 

三ヶ月後に帰国してからは、麻生レミと供にフラワーズを結成し、メンバーを入れ替えながら、1973年まで活動。

 

この頃に樹木希林と出逢うが、それは後述。

 

以降は表舞台に立つ活動を抑えて、海外アーティストを日本に招く為に尽力するようになる。

(ちなみにジェフ・ベックやニューヨーク・ドールズの来日には内田裕也が陰で動いていた。)

1977年からは映画俳優としても本格的に活動し始め、【水のないプール】、【戦場のメリークリスマス】、【コミック雑誌はいらない!】などの話題作品に出演。

 

その後もアウトロー映画を中心に奇抜な演技を見せつけていた。

 

内田裕也の逮捕歴など

内田裕也は、1977年9月に大麻取締法違反で逮捕されている。

 

しかし、内田は堂々と週刊誌のインタビューに対して、言い放っている。

『マリワナに関して、くどくど弁解などしたくない。オレは10年前からやってるわけで、いつかはやられるだろうと思ってた。ただね、ひとつだけ言っとくと、あれによって音楽が変わるかというけど、そんなにたいそうなもんじゃないよ。まあ、アルコールは人を攻撃的にするよね。酔うと悪口の言い合いになったりする。その点マリワナは、決して攻撃的にならない。やさしく包んでくれる。そういう意味では、アルコールよりも健康的なわけで、ただそれだけのことだよ』
引用:藤原邦洋「ミュージック・スポット」、『週刊文春』1977年(昭和52年)12月22日/29日号、文藝春秋、1977年、 119頁。

逮捕はされていないが、1989年から1991年頃まで、国際女優である島田陽子と不倫。

 

その時期に島田陽子の伊豆の別荘で、内田裕也が刃物を持って島田陽子を追い回すというトラブルを起こしている。

 

2011年5月13日には交際していた50歳の女性に別れ話をされたことから、逆上し脅迫し不法侵入をし強要未遂と住居侵入の容疑で逮捕される。

 

この時、内田裕也は70歳である。

 

内田裕也が死去の可能性があるという噂の真実

出典:Yahooより

内田裕也は2017年夏前に転倒した際に骨折、それに加えて脱水症状で入院していたことがある。

 

マスコミの前に姿を現したのは、2017年の【京都国際映画祭】にて。

 

この時、内田裕也は車椅子にステッキを持って登場するという、痛々しい姿であった。

 

現在は病気で伏せっているという噂も立っているが、自宅療養中の身であり、内田は年末の年越しライブに向けて準備をしているということである。

 

内田裕也が死去するという噂は、全く事実無根ではあるのだが、その噂が囁かれているのには、いくつか理由がある。

 

まず、内田裕也の年齢が既に78歳という高齢をめされていること。

 

更に去年、転倒して骨折しリハビリを余儀なくされていたという事実。

 

そして、先日 (2018年9月16日) 愛妻の樹木希林が死去してしまい、気持ちに動揺が走っているということ。

関係者によると「あまりに突然で、急だったので、(内田は)大きなショックを受けている」と明かした。

数日中には、文書で希林さんへの思いを公表したい考えだが、今は、都内で気持ちの整理をつけようとしているところで、公に出られる状態ではないという。

都内の内田の自宅マンションには報道陣が集まったが、呼び鈴を押しても反応はなかった。

引用:日刊スポーツより

以上のことから、内田裕也の死去という噂が巻き起こっているのが真相であるが、根拠は全く無いというのが現状である。

 

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内田裕也と樹木希林の馴れ初め

出典:Yahooより

 

内田裕也と先日、死去した樹木希林は1973年10月に結婚している。

 

馴れ初めは樹木希林がドラマ収録をしていたスタジオに、内田裕也が訪れて、その様子を見て一目惚れしたことが切欠。

 

実は樹木希林も内田裕也と同じ気持ちであったらしく、交際後、五ヶ月でゴールインしたということであった。

 

ちなみに内田裕也と樹木希林の結婚式は築地本願寺で行われたが、何と二人ともジーンズ姿であり、正装ではなかったという。

 

当時のマスコミもこれは大々的に報道したようである。

 

すぐに別居するも離婚をしなかったのは・・・

幸せな二人の結婚生活も僅か二年足らずで別居となってしまう。

 

その理由は内田裕也の酷い家庭内暴力によるものであった。

内田が暴れたときはうちでもどうにもならないのよ。それで、渋谷警察署に相談したら、すぐに来てもらえるように登録してくれました。若いころ、結婚したてはすごかった、もう暴力は毎晩ですからね。家の中は滅茶苦茶、もう包丁をどれだけ買いに行ったかわからない。金物屋さんが『お宅はどうして、包丁がこんなに壊れるんですか』って言ったくらいです

引用:Scoopエンタメより 樹木希林の証言

内田裕也はその後、離婚をすすめようと離婚届を提出する。

 

しかし、驚くべきことに樹木希林が離婚を認めなかった為に、訴訟となるが、結局、離婚届は無効となる。

 

その理由について、樹木希林が後にメディアに向けて打ち明けている。

まあ、縁ですから。自分に合った人と出会うわけですから。

あんな男を放っておいたらもっと迷惑を掛けるから、自分がいる事で最後の一線を越えさせないようにしているんだ。

内田ほど何をしでかすかわからない、これほど退屈しない人間はいない。まあ好きといえば内田裕也という人間のすべてが好きなんでしょう。

1976年2月には娘の也哉子も生まれたことも、離婚しなかった理由かもしれない。

 

その後、内田裕也とは40年間にも渡り、別居生活を送ることになり、その間にも不倫、逮捕などの騒動を起こしているが、その深い愛情はお互いに変わらなかったという。

 

まとめ

内田裕也の死去の噂の考察と、樹木希林との馴れ初めなどを中心にまとめてみた。

 

婚姻関係にあって、長年、別居していても人間の愛情以上の縁というのを大事にしていたということを証明している二人の関係にも見える。

 

どちらかといえばロックな生き方を体現している内田裕也の方が、傍目から見てワガママでろくでなしに見える。

 

しかし、お互いに存在を認め合い、決して切れぬことが無い縁が事実上、樹木希林の死去という形で切れてしまったことは、内田裕也においては最も過酷な時期に差し掛かっていると言えるだろう。